「大人」や「子供」なんて区切りは無い
「もう大人なんだから」「まだ子供だからいいけど…」
誰もが一度は言われたことのある言葉ではないだろうか。
私たちは当たり前のように「大人」と「子供」を使い分けている。
しかし、本当にその境界線は存在するのだろうか。
私は、そうは思わない。
大人は完成した存在ではない
二十歳になった瞬間に何かが明確に変化し人格が完成するわけではない。
就職した瞬間に迷いがなくなるわけでもない。
三十歳でも失敗する。
四十歳でも悩む。
五十歳になっても新しいことに挑戦するのが怖い人はいる。
年齢を重ねても、人はずっと成長の途中だ。
一方で、子供だからといって未熟だとは限らない。
驚くほど思いやりのある子もいる。
大人より柔軟な発想を持っている子もいる。
「大人の集団」と「子供の集団」
集団になっても、それは変わらない。
「子供の集団」と「大人の集団」を比べると、多くの人は「大人の方が落ち着いている」と感じるかもしれない。それになんだか専門用語を使ったり、尊敬語、謙譲語等…、人を敬う言葉を使う。
しかし、それは人間性が大きく違うからではない。
私は、人間が作り上げた「社会」という仕組みに、大人の方が少し慣れているだけなのだと思う。
- 学校では先生の前では静かにする。
- 会社では上司の前では言葉を選ぶ。
- 電車では列に並び、会議では順番に話す。
私たちは長い時間をかけて、その社会のルールや空気を学んできた。
だから大人の集団は秩序があるように見える。
けれど、その本質は子供とそれほど変わらない。
- 褒められれば嬉しい。
- 否定されれば傷つく。
- 仲間外れを恐れる。
- 誰かと比べて落ち込む。
- 時間を共有すれば信頼関係が生まれる。
違うのは、人間性ではない。
社会との付き合い方を経験から学んできたというだけなのだ。
社会人になっても、結局は人間関係
「社会人になれば、大人の世界になる。」
そんなイメージを持つ人は少なくない。
しかし、働き始めたからといって、人間が作る社会の構造そのものが大きく変わるわけではない。
どこまでいっても、人と人との関係なのだ。
学校では、
- 気の合う友達同士でグループができる。
- 尊敬できる先生もいれば、苦手な先生もいる。
- 人気者がいて、目立たない人もいる。
- 噂話が広がることもある。
- クラスの空気を読んで行動する人がいる。
会社でも、
- 仲の良い同僚同士で自然とグループができる。
- 尊敬できる上司もいれば、苦手な上司もいる。
- 周囲から信頼される人もいれば、目立たない人もいる。
- 社内の噂話はなくならない。
- 職場の空気を読んで行動する人がいる。
もちろん責任の重さは違う。
求められる行動も違う。
しかし、人間関係の本質は驚くほど似ている。
舞台が学校から会社へ変わっただけで、人間という存在そのものは変わらない。
本当は、どこまでいっても「人」なのだろう。
「大人だから、子供の頃のようなワクワクやドキドキを否定しなければいけないのだろうか。」
「子供だから、学校で勉強をして友達と遊ぶことだけが正解なのだろうか。」
私は、そうは思わない。
社会は、人を「大人」と「子供」に分けたがる。
それは制度を作る上では便利だからだ。
義務教育も、成人年齢も、選挙権も、就職も。
どこかで線を引かなければ社会は運営できない。
だから「大人」「子供」という言葉は生まれた。
しかし、それは社会を円滑に運営するために作られた区分であって、人間そのものを表す言葉ではない。
人は二十歳になった瞬間に、別の生き物になるわけではない。
子供も、大人も、嬉しいと笑い、悲しいと泣き、不安になり、夢を見て、失敗しながら少しずつ成長していく。
「大人」や「子供」といった言葉は、人を分類するために都合よく作られた単位に過ぎない。
「『大人』でも『子供』でもない。
私たちは、どこまでいっても『人』なのである。」
